MINGEI

私たちの暮らしの中で、一番ホッとする場所と言えば、家ではないでしょうか。
どんなに楽しい旅行だったとしても、家に帰ってくるとホッとして、「我が家が一番」なんて言ったりしませんか?
それは、家では自分の好きなものを取り揃え、それを使っている時間を愛おしく思い、大切に過ごしているからではないでしょうか。
よく使うものが、美しいだけでなく実用的で、しっかりした作りのものだと良いですよね。
そこで思い浮かんだのが「民藝」です。
新潟ではあまり民藝をいう言葉を耳にしませんが、民藝の精神を大切にしているお店はあります。
柳宗悦の提唱する民藝とは少し違うかもしれませんが、新潟において”一般の人びとが日々の暮らしに必要とする品”を作る人、残そうとする人、伝える人を紹介しいたします。


01. ISANA イサナ

02. スズキ家の茶ノ間 スズキケノチャノマ

03. ヒメミズキ ヒメミズキ 



01. ISANA イサナ

ISANAが未来へいざなう。

 沼垂テラスに、長板を横に張った青い外壁と茶色い外壁に白い木の窓枠が目印のお店「喫茶 ISANA」がある。子供の頃に絵本や映画を見て憧れた家は皆、長板を横に張った外壁だった。だから、沼垂テラスを訪れる度に良いなと目がいってしまう。店内は木の温もりが感じられて居心地が良い。オーナーは家具職人である雅之さん、奥様のなぎささんは染織家。店名のISANAは古語の鯨(いさな)から来ているそう。「名前をつける時に動物の名前にしたいと思っていました。大きい魚をいさなと言い、大きい魚が転じてクジラを指すようになったそうです。沼垂テラスは昔、栗の木川と通船川を結ぶ堀だったこともあり、いさなが良い、僕たちもクジラのように大きくなりたいと思ってつけました」と雅之さんは教えてくれた。

 店内で使われている家具は全て雅之さんが作ったもの。家具は佇まいが美しいだけでなく、使い込まれていくうちに醸し出される味わいがある。壁にはタペストリーやコラージュ等、なぎささんの作品が飾られている。カウンターの奥に飾られたタペストリーは椅子がモチーフの暖かみのあるデザイン。もちろん喫茶で使われている木や布の雑貨も二人の作品だ。

 雅之さんは大学で建築を学ぶ。建築から家具職人の道に進んだのは、雅之さんにとって自然なことだったという。「家具と建築は僕の中で同義なんです。衣服も建築だと思っているんですけれど、家具は空間を構成する最少単位。家具が集まると部屋になり、部屋が集まると家、家が集まると街並み、街並みが集まると都市になる。僕の中では沼垂でカフェを作るのも建築と同義なんです。まずは家具という最少単位から始めたいと思いました」。   

 ISANAの家具は、使いやすさや座り心地はもちろん、佇まいが美しく、ディテールまでこだわりを感じる。オリジナルの家具を生み出す為、雅之さんは飛騨高山の職業訓練校、奈良の家具製作会社、京都の家具工房で様々な経験を積んできた。京都の家具工房ではシェイカーデザインの家具を学んだ。それはシェイカーがなぜ名作と言われるのかを確かめたかったからだという。「シェイカーが好きというよりは、写真を見てもなぜ名作と言われるのかがわからなくて、その名作と呼ばれる理由を確かめたかったからです。またシェイカーは簡素な家具構造をしています。200年前の家具だから難しい機械を使っていません。シェイカーの椅子は丸い棒だけで構成されているんです。どのようにして組み上げているのかなど作り方に興味がありました。木工ろくろを回して作る丸い棒はとても手間がかかり大変な作業でした」。

 ISANAの椅子はシェイカーだけでなくウィンザーチェアからの影響も受けている。ISANAのチェロ・チェアはウィンザーチェアを日本人に合わせてコンパクトにリデザインしたものだ。「僕はアノニマスデザインが好きなんです。シェイカーやウィンザーのように一般の名も無い人が作ったものが後世に残っていることは凄いと思います。ウィンザーチェアはシェイカーより100年も前にイギリスで作られた家具で、シェイカーもウィンザーから影響を受けているんです。僕は椅子を作る時、シェイカーやウィンザーの椅子をそのまま真似るのではなく、今の時代だったらどうするかを大切にして作っています。実は北欧のデザイナーもシェイカーの影響を受けていて、シェイカーという名のついた椅子を作っているんですよ。皆、時代に合わせてリデザインして家具を出しているんです」。

 ISANAの家具は、裏側まで美しかったり、手に触れるところや釘が真鍮製だったりと、目立たないところの処理までこだわっている。「家具作りでは裏にもこだわっています。洋服の裏地がオシャレだと良いなと思いますが、家具も同じ。見えない所もさりげなくオシャレだと良いなと思います。また、構造と装飾の中間領域に興味があります。例えば、構造体自体が装飾的であったり、普段隠す構造の斜め材を思いきって外に出してみたりと、いろいろ挑戦しています。用の美は構造を削ぎ落としていった時に美しくなることを指しますが、ストイックに構造を削ぎ落とす一歩手前に、装飾の雰囲気をまとった構造というものが浮かび上がらないかと日々模索しています」という雅之さん。柳宗悦が用の美を提唱したのは1920年代。その当時から約100年も経過している現在、用の美は雅之さんが作り出す家具のように、装飾を施した中に用の美があるものも民藝と言っても良いのではないだろうか。

 今後について伺った所、「やっぱり新潟の木材で家具を作りたいですね。長野や北海道など家具の産地には機械屋さんや材木屋さんが多いけれど、新潟は少ない。身近な所にナラやブナなどの木はあるのに流通してない為、僕たちの所まで届きません。乾燥工程や流通量が安定化しないので良くてもペレットストーブ用のペレットの材料として使われるくらいです。小ロットで広葉樹を使える仕組みを構築できれば、地域の材料を地域で使える。このあたり前のことをあたり前にできるようにする為にISANAでできることを少しずつやっていきたいですね」と雅之さんは語ってくれた。

 なきささんの作品は、水玉やストライプだったり、お花や鳥が描かれていたりと、色使いや柄がどこか北欧のデザインを思わせる。「北欧と言われたのははじめてです。ただなんとも言えないくすんだような柔らかな色づかいや、大胆な柄のとり方などは、北欧と日本は通じるものがあるように思っています」。

 なぎささんが染織家の道へ進むことになったのは雑誌に掲載されていた草木染めのきれいな糸が沢山並ぶ風景の写真を見て感動したことがきっかけだった。「小さい頃から母が着物を着せてくれて、着物への憧れのようなものがありました。もとをたどれば、それが布への興味の始まりだったのだと思います。ただもともとは布は趣味として好きという程度。大学では公民館といった生涯学習の場について学んでいました。公民館や図書館の色々な人を受け入れてくれる感じ、色々な人が集う雑多なところが好きなのです。とはいえ、卒業後は一般企業に入りました。しかし社会の荒波にもまれ、日々疲れていました。そんな時にたまたま雑誌で目にした草木染めの糸の色がとってもきれいで感動し、好きだった布への憧れが大きくなりました。一度で良いから布に関わることをしてみたいという思いが強くなり、雑誌に掲載されていた奈良の工房に通うことにしたのです」。

 糸を紡ぐところから始めて、糸を染め、機で織って布を作る工房に通い、作品を作っていたという。「先生が、昔の日本人は糸を紡いで染めて織っていました。特別なことではなく誰でもやっていたこと。生活に近いものだったのよ。という言葉が今でも強く残っています。機織りとは遠く離れた世界のことだと思っていたのが、一気に自分のもとに引きよせてくれた言葉でした」。

 染物と料理は似ているという。「草木染めはキッチンでもできます。慣れてくると夜に料理を作りながら染物をしていました。煮物はグツグツ煮込み、一晩置くと味がしみ込んで美味しくなりますが、染物もそれと一緒。染物もグツグツ煮込んで一晩寝かせ、冷める時に色が一気に入り込んでくるんですよ」。

 その後、雅之さんが家具の修行で京都へ行くことになった時、京都でも染織の勉強を続けたくて、憧れだった型染めにも挑戦したという。「草木染めで型染めをしている先生のもとで勉強できたことは、わずかな時間でしたが、とても貴重な経験でした」。

 8月にお子様を出産したばかりのなぎささん。これからのことは自然体に構えている。「子供が生まれ、喫茶室に立つことは少なくなるかもしれませんが、切り絵や絵を描くデザインはできます。これからも身近な思い入れのあるものや、風景などが作品作りのもとになっていくと思います」。

 私が喫茶室を訪れる時は大体が日曜日の午後。その為、焼きプリンを目当てにして行くと売り切れていることがある。ISANAの焼きプリンは大きくて、カラメルソースがたっぷり。まるでカラメルソースという海に浮かぶプリンの島のよう。ISANAのプリンは私にとってドリームプリン。だからプリンにありつけた時の喜びといったらない。ところで、家具職人である雅之さんと染織家であるなぎささんは、なぜ喫茶室を作ったのだろうか。「私たちが沼垂にお店を出した頃は、本当に何もなくて人もいませんでした。他に何もない土地にわざわざ来てくださったのだから、来てくださった方にお茶をお出ししたら、おもてなしができるんじゃないかと思いました。そして自分達の作った空間や家具も楽しんでもらいたいと思ったのがきっかけです」。

 喫茶室のメニューはどれも優しい味わい。看板メニューの焼きプリンは、なぎささんが奈良にいた時にアルバイトをしていた喫茶店にあったプリンがもとになっている。「奈良では染織を学ぶかたわら喫茶店でアルバイトをしていたのですが、その喫茶店で初めてプリンを食べた時の感動が忘れられなかった。自分のお店でもあの大きなプリンを出したいと思いました。私、実はもともとコーヒーが苦手で飲めませんでした。けれでも京都にいた時に知り合った焙煎屋さんのコーヒーをきっかけに、コーヒーがとても好きになりました。その方の淹れるコーヒーはお茶のようにサラサラ飲めるコーヒーでした。ISANAのコーヒーは今でもその方に焙煎してもらい、京都から送ってもらっています」となぎささん。ISANAのコーヒーは苦味や酸味が少ない為、飲んでみると本当にサラサラ飲めて、しかも美味しいのだ。

 ISANA 喫茶室を訪れるお客様は老若男女様々で、皆ゆっくりと思い思いに過ごしている。ふと、なぎささんの言っていた公民館が頭に浮かんだ。色々な人を受け入れてくれる感じがここにはある。ISANAではDIY教室や織物の教室も開いている。なぎささんが子供の頃から好きだった公民館、大学生の頃に好きになったコラージュや切り絵、社会人を経て学んだ草木染めや型絵染め、染織を学びながら働いた喫茶店、雅之さんが大学で学んだ建築、その後の家具作り、それら全てが今のISANAに繋がっている。

 ウィンザーチェアはイギリスのウィンザーという街で300年前から完全分業で作られていた為、安く作ることができ、庶民が椅子を買って使うこともできたと雅之さんが教えてくれた。それぞれ別々の場所で作られたパーツがウィンザーに集まって組み立てられ、出荷される。それが産業となり、人が集まり、街ができていったという。長野の松本では、池田三四郎が「松本民芸家具」を設立したのをきっかけに、民藝の要素を取り入れた店舗が多くでき、クラフトのまちとして発展。それが観光資源に繋がっている。二つの街に共通しているのは、初めは一人の人から始まったことが、共感する人が増えてグループとなり、グループが組織に、組織が複数に増えて街の産業として発展して行ったということ。イギリスのウィンザーや長野の松本などのように、ISANAの周辺に共感し活動を共にする人が増えて行ったら、新たな文化が生まれ、産業が発達していくのではないか。そんな風に思うのは、私の期待なのだろうか、それとも予感なのか。今後のISANAの活動が楽しみだ。

ISANA

ISANA 喫茶室 新潟市中央区沼垂東3-5-22 [沼垂テラス商店街内]

10:00-18:00 火・水曜日定休

ISANA FURNITURE 新潟市秋葉区古津1840 日曜日のみOPEN 12:00-17:00



02.スズキ家の茶ノ間 スズキケノチャノマ

職人と元職人が生み出す実用品。

 学校町通の市役所側入口の三角地帯に、日本の現代の暮らしにスッと溶け込む生活道具を扱っているお店がある。その店の名は「スズキ家の茶ノ間」。店主の鈴木日富さんが用の美を兼ね備えたうつわのセレクトショップとしてお店をオープンさせたのは2014年。今ではうつわの他に、日富さんが全国各地から集めてきた生活道具や、温かみのある木彫りの置物、オリジナル商品であるfolk prodcutなどを扱っている。「私はどちらかというと、家では床に座っている方が落ち着いて好きなんです。日本の“座る”という生活様式に合うようなインテリア商品を扱うお店にしたいと思って始めました。店名は、スズキ家の茶ノ間を始める前に、妻が隣でスズキ食堂車を始めたので、その店名と連動してスズキを入れようと思いました。鈴木(スズキ)は全国で一番か二番目に多い名字なので、スタンダードな家の象徴としてスズキ家にし、リビングは日本語でいうと茶ノ間なので、スズキ家の茶ノ間にしました」と教えてくれた日富さん。

 ある日、スズキ家の茶ノ間を訪れた私は、恐竜みたいな可愛い形をしたスウェーデンのクルミ割り器を見つけた。いつか殻つきのクルミを買って、クルミ割り器で割ってみたい、そして割ったクルミでお菓子を作りたい、そんな思いでクルミ割り器を買って帰った。また別の日に訪れたときは、前から気になっていた紙盆を買って帰った。丈夫な厚紙でできたお盆で柿渋で塗装されているそうだ。実際に使ってみると、使い込んでいくうちに木のような味わいが出てくる。しかも軽くて使いやすい。「紙盆はスズキ家の茶ノ間のオリジナルであるfolk productの商品です。folk productでは実用的な生活道具を作っています。もともと紙の素材で何か商品を作りたいと思っていました。木のお盆は素敵ですが、重くて値段も高い。そこで、若い人も気軽にお盆を使ってもらえたらと思い、紙の素材でお盆を作ってみました。柿渋で塗装しているのですが、柿渋で塗ると木のような風合いが出ます。柿渋は家具の竹行李(竹で編んだ衣類などを入れる蓋つきの箱)にも使われているのですが、竹行李は竹の上に和紙を貼り柿渋を塗って作っています。柿渋を塗ることによって強度が増して丈夫になるんです。そこで紙盆にも柿渋を使うことにしました。柿渋で塗装すると水に濡れてシミになったとしてもそれが味になって気にならないんです」。

 日富さんは元鉄工職人であり、元家具職人でもある。またインテリアショップで絨毯の営業販売も経験している。「山形の山奥で生まれ育ち、グラフィックデザインを学ぶ為に東京へ出てきました。学校に通いながら、東京の立川市にある鉄で門扉などの飾りを作っている会社にアルバイトとして入ったのですが、鉄鋼にハマってしまい、そのまま社員になりました。そこには鉄工場だけでなく木工場もあって、初めは楽しそうだなという軽い気持ちで木工場に出入りしていたのですが、親が林業をしていて身近に木があったからか、次第に鉄工よりも木工に興味を持つようになり、そして、家具を作る職人になりたいと思うようになりました。社長に相談したら、飛騨高山にある工房を紹介してくれて、そこで家具作りを学んでいました。いつか独立をしたい、自分の工房を持ちたいと思ってはいましたが、物づくりに行き詰まりを感じるようになり、私は売る側に回ろうと思うようになりました。販売を初めたばかりの頃、私は家具のことを知っているのだから売れるだろうと思っていました。しかし、実際に販売をしてみると、伝えることが一番難しいとわかりました。良さを言ったから買ってもらえる訳ではなく、モノが良いからといって買ってもらえる訳ではないということがわかったのです」。この時の経験が、後のfolk productの企画販売に繋がっていく。

 folk productの始動は2015年。新津でカゴを作るおじいさんとの出会いがきっかけだった。「農作業の閑散期に竹を編んでカゴを作っていたおじいさんと知り合いになり、おじいさんの作ったカゴをお店で販売することになりました。収穫した野菜を入れるのに使っていたそうです。次第に、ここだけで販売するのは勿体ないと思うようになり、オリジナルを作って卸をしていくことにしました。それがボテバッグやバスケットです。少し大きかったので、使いやすいようにサイズを小さくしたり、レザーハンドルをつけてあります」。

 folk productでは職人の技術や能力を活かす商品開発を心がけている。「私がお願いしている人は職人ばかりです。職人は良いものを作っているのに自分から情報発信しない為、世間に知られていない人が多い。そこそこ売れれば良いと思っているのです。そうい職人は本当に良いモノを作ってくれます。職人の皆さんは本業がある為、その空いた時間にfolk productの商品を作ってもらっています。職人が一番良いやり方を知っているので、私は職人のアイデアを最大限に引き出しながら商品開発を進めたいと思っています。端材を利用して作れるのであれば、コスト削減にもなるので多少のサイズ変更もいといません」。

 店内で扱っている民藝品はfolk productに通じるものがある。「民藝に惹かれたのは鉄工を始めた頃です。柳宗理に影響を受けました。商品には人柄や考え方が出てしまいます。初めは形から入りましたが、柳宗理を知っていくうちに、商品を作る際に考えていたことや商品を作るプロセスを知り、更に好きになりました。folk productでは柳宗理の物づくりの考え方やプロセスなどで影響を受けた部分が出ていると思います。お店で扱う商品は、自分でも買える価格かを大切にしています。例えばうつわの場合、ろくろを使って手で作ったうつわには手で作った良さがありますが、型押し成形で作ったうつわにも型押し成形で作った良さがあります。周りの声を聞いて選ぶのではなく、自分の目線で良い悪いを決めて選んでいます。今後も自分のスタンスで着実に続けて行きたいですね」と日富さんは語ってくれた。

 folk productの商品はデザイン性に優れているだけでなく、本当に使いやすい。日富さんは仕事に対し、職人さんのように丁寧で堅実だ。そんなところが商品にも現れているのだと思う。

絣パッチワーククッション

「以前勤めていたインテリアショップでギャッベ(イランの手織り絨毯)の営業をしていたのですが、その時に草木染めに触れ、好きになりました。草木で染めたモノは生活に調和しやすく、どんなモノにも馴染みます。シミになっても汚らしい印象にならないところが良いですね。パッチワーククッションはコタツ布団カバーや座布団カバーを作る際に出たはぎれで作っているんですよ」。


三角チリトリ

丈夫で使いやすいのはもちろん、手に取ると予想外の軽さに驚く。

「板金に関しては全く知識がない中で、職人さんと何度も何度も手紙のようなやり取りをしながら作った商品第一号なんです。薄い素材なのに落としても角が凹まないのには驚きました」。


お札立て(神棚)

現代の住宅で多く見られる洋風な部屋にもしっくりくるお札立て。

「お札をよく買うのですが、お札を置く場所がなくて、お札立てが欲しいと思っていたました。しかし、欲しいと思うものがなかなか見つからなかったので、形が良くて値段が手頃なものを作ることにしました」。

スズキ家の茶ノ間

新潟市中央区学校町通2-5299-3 10:00-18:00 日・月曜日定休



03.ヒメミズキ ヒメミズキ  

暮らしの中の美しきもの。

 白山神社の参道である古町通に、新潟では数少ない作家のうつわを扱うお店「ヒメミズキ」がある。店名のヒメミズキは、黄白色の小花を咲かせる可憐で美しいヒメミズキからきているという。「ヒメミズキの花言葉に 思いやり という言葉があります。ヒメミズキは細いけれど、ぽきっと折れずにしなる花木です。そんなヒメミズキのように、思いやりを持った、しなやかで芯のある女性になれたらという想いからヒメミズキという店名にしました」そう語るのは、店主の小笹さん。

 ヒメミズキを訪れる度に素敵だなと思うのは、花器に美しく生けられた季節の花。見ていて綺麗だなと思うとともに、同じ空間にいると心が穏やかになる。時折ヒメミズキのSNSに、美しいうつわに盛り付けられた旬の食材を使った料理や年中行事にまつわるお菓子の写真が登場する。それらの写真から、日本の四季や年中行事、習わしを大切にされているのだなと感じ取ることができる。

「休日も仕事をしているくらい凄く忙しい時代があり、その頃は、まわりを見渡す余裕がありませんでした。自然に触れに出かけることもできません。そんなある時、家に季節のものを飾るだけで心が癒されることに気がつきました。それまでは時々の休みに買い物をしたり、奮発してご馳走を食べたりするなど自分でご褒美を与えて気持ちを切り替えていたのですが、特別なことをしなくても気に入ったうつわに料理を盛り付けて楽しんだり、季節の花を飾ったり、日々の小さな「素敵」だと思うことの積み重ねの方が大切だと感じるようになったのです」。

 小笹さんの前職はインテリアコーディネーター。数多くのインテリア商品に触れてきた小笹さんだが、うつわに惹かれたのは、うつわが一番暮らしに近く、身近にある存在だからだという。小笹さんの自宅は、家具は北欧のものが多いが、食器は和のものが中心なのだとか。

「もともと和食器が好きでした。洋食器に和食を盛り付けるとなんだか違和感を感じますが、和食器は洋食や中華を盛り付けてもしっくりきます。北欧の家具にも馴染みますよ」。

 だからだろうか、ヒメミズキで扱ううつわは佇まいが美しく、どこか洋のエッセンスを感じる。

「形が美しく、実用的。そのどちらも兼ね備えているものをお店では扱っています。必ず自宅で使って、使いやすいか確認してから扱うようにしています。もともと好きだった作家さんの個展に足を運んだり、クラフトフェアに行ったり、よく行くギャラリーのオーナーさんから作家さんを紹介していただいたご縁の方もいます。お店を始めた頃からの付き合いの方も多く、信頼を置いているので個展などを開催する際は、ある程度希望を伝えますが、あとはお任せし、自由に作ってもらっています。個展では作家さんの物づくりについての考えや想いがより一層伝わってくるので面白いです」。

 小笹さんの審美眼にファンは多い。ヒメミズキを訪れると、日々の暮らしに豊かな時間を与えてくれるうつわに出会うことができるだろう。

ヒメミズキ

新潟市中央区古町通2番町528 ☎︎025-201-9252 11:00-18:00 火曜日定休


全てtest・photo:Shimizu Miyako

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