カルチャーあ

photo:Asako Ogawa


Asako Ogawa

MAI

“東京”

それは街か、あるいは状態、はたまた状況なのか。

わたしたちが眼差す、東京。


photo:Asako Ogawa


 新潟から何かを発信している人たちを紹介する「カルチャーあ」。何かをつくりだす人たちは、いかなる時代や状況でも、つくりたいものをつくり、発信し続けている。それを素敵だなと思ったり、面白いな等と思う人たちが集まり、一部で始まった盛り上がりが徐々に広がって、時には大きなムーブメントを引き起こすこともある。本当に好きで真剣にやっている人たちほど面白いものはない。

 2021年10月1日から3日、10月8日から10日に沼垂にあるギャラリー跡地(旧BOOKS f3)で開催されたAsako OgawaとMAIによるExhibition“東京”を観に行った時、コロナ禍で東京へ行くのがはばかれる中、新潟を含む地方に面白さを見出していた私はハッとさせられた。地方に住む私のような人だけでなく、東京から地方へ転出していく人が増えている中で、それでもなお、東京に思いを馳せている人たちがいる。普段聞こえてこないような人たちの声が聞こえてきたようだった。どんな思いで作品を作り展示を行ったのか、東京を思い浮かべながら、Asako OgawaとMAIの話に耳を傾けて欲しい。

photo:Asako Ogawa


この街に活かされ生きるぼくたちの頬を撫でゆく風のやわらか


__まずはAsakoさんにお伺いいたします。写真を撮り始めたきっかけを教えてください。

Asako(以下、A) 祖父が暗室にいる人だったので日常的に写真はあったのですが、ちゃんと自分で写真を撮り始めたのは20歳頃からです。自分の気持ちを残すために撮り始めたら写真がちょうど良くて。それからずっと続いています。モノクロ写真を撮り始めたきっかけは、BOOKS f3での三好耕三さんの展示です。今までに感じたことのない衝撃を受けました。その後35mmですが実際にモノクロフィルムで撮影した時に、想像していた以上に自分にフィットした感覚があって、もっと撮りたいと思うようになりました。

__MAIさんはいかがですか。物書きを始めたきっかけを教えてください。

MAI (以下、M)学生の頃から書いたり読んだりすることが好きだったのですが、ちゃんと完成した作品を作ってみたのは社会人になった22歳からです。日々、短歌や詩を書いています。私は言語表現をやりたくて、大学では英文学を専攻していました。英語が面白くて。使う言語で思考が変わるっていうじゃないですか、日本語を使うひとは日本語的な思考に、英語を使うひとは英語的な思考に。使用言語がそのひとの思考に大きく影響するということに興味を引かれて。相手の考え方がわからないけれどわかるとか、逆に相手の考え方がわかるけれどわからないとか、そういう間にあるものがあって、互いに歩み寄ったりするためのツールだなというのは強く思います。

__二人が出会ったのはいつ頃ですか。

A 私たち高校の同級生で。当時はあまり知らないという間柄だったんですが、大学を卒業して就職した後に再会するきっかけがあって、いつか一緒に何かできたらいいねという話はぼんやりとしていました。

__どういう経緯で“東京”を開催するに至ったのですか。

A 昨年8月に新潟市西区で開催予定だった〈ふふふのZINE〉というイベントに出展させていただく予定だったんですが、新型コロナウイルスの影響で中止となってしまって、作品は出したけど不完全燃焼でモヤモヤしていました。その翌9月に新潟で活動されているLIGHTさんの展示を見に行った時、私たちの経過をたまたま知ってくださっていた関係者の方から展示をやってみないかとお話をいただいて開催させていただくことになりました。

__“東京”がテーマになったのはなぜですか。

A 私とMAIちゃんは一緒に住んでいまして。私が所用で東京へ行くことが多くなり、彼女に東京でのことを話すことが増えたのが始まりでした。彼女に話すことによって私も東京について考えるようになり、彼女も東京のことを改めて思うようになったりして。

M Asakoさんが東京に通い始めた頃から色々な話をよくしていて。東京で写真に向き合う彼女の思っていることを聞いたり、私が関東で過ごしていた頃の話をしたりして、いつかは“東京”を作ろうねっていう話はしていたんです。それが今だ、というタイミングで、“東京”をテーマにしました。

photo:Asako Ogawa


__モノクロ写真にしたからか、より東京への思いが伝わってきました。“東京”を開催してみていかがでしたか。

A 先ほど彼女が言っていた「わかるけれどわからない」「わからないけれどわかる」というような曖昧さや抽象性は、モノクロ写真にも通ずるものがあると思っています。彼女の詠む歌や言葉にも同じようなことを私は感じていて、お互いに表現したい中間色、余白のようなものがうまく組み合わさった展示になったと思っています。また、新潟で“東京”を開催するという点では私たちが眼差す東京とは異なる東京について、来ていただいた方々とお話する機会を得ることができたのはとてもありがたいことでした。2021年は新型コロナウイルスについてだけでなく、東京オリンピックが開催された年で、個人的によくもわるくも東京だけ日本で孤立しているイメージを持っていて。それに対して感じていた寂しさや悲しさを、まずは自分たちが払拭できたらという思いがあった中で、小冊子と展示を前向きにみてくださる方が多かったことは何かを共有できた気がしてとても嬉しかったです。

M 私も2021年は色々な意味で東京が「記号」になった年だと思っていて。五輪もパンデミックもそうですが、そういう大きな物事に対する大きな主語としての東京をどうしても意識しました。ただ、だからこそ、本当はもっとそれぞれの個別な、小さなところでしか語られない東京があると思ったんです。また、それらを自分たちだけに留めるのではなく、外に出して、色々な人と話し合いたいと思いました。そんな試みを二人で一緒に立って見せるという展示にはなったかなと思っています。

__詩や短歌から、実際に東京に住んでいる人の視点と、東京の外から見ている人の視点の両方を感じました。

M それはきっと私の個人的な経験というか、これまでの時間みたいなものなんです。私は関東で生活していたこともあって、今は新潟に帰ってきて距離があるところにいる。東京にいる時と東京から離れたところにいる時、その間を行き来する時もある。東京は街とか場所というよりも、東京という状況、東京という状態なのではないだろうか、と考えました。そういうものとAsakoさんのモノクロ写真とのミックスが、言葉で表現をする際にはありました。私は極めて個人的な話って普遍性をもっていると思っているんです。それこそ、そこがわからないけれどわかるっていうのが生まれるポイントなんじゃないかと思っています。

__詩や短歌はAsakoさんの写真を見ながら気持ちをミックスさせていったのですか。

M Asakoさんの写真を見ながらというのもありますし、それとは別に私の考えというのもどちらもあります。色々なところを見ながら、一番強く打てる場所ってどこだろうと考えながら書きました。

__二人で展示をやってみて、どうでしたか。

M Asakoさんが作業されている時の辛さは彼女しかわからないですし、私の苦しさも私にしかわからない。別々の人間なので、それはしょうがないことですよね。でもお互いに相手のことはわからないから、想像したり、一緒に立ち止まってみたりする。そういうことを流れの中で積み重ねていけたということは、以前に経験したことのないとても稀有なことだったなと感じます。

__だから文と写真に一体感を感じたんですね。

A 私、音楽がすごく好きで、二人で制作しているときは二人だけどバンドを組んでいるような感覚になれました。それぞれの楽器は写真と言葉で、奏でているのは音ではないけれど、これが二人のバンドという形なのかなとそんなことを思いました。二人だからできた、一人ではできない経験でした。一緒にはやっていますが彼女は自分以外の“他者”なので、わかりたくてもわからないこと、わかれないことがあります。その中でどう歩み寄れるか、わかろうと想像できるか、自分自身を伝えられるか、というもどかしさや難しさを体感しました。

__個々の活動とは違う感じでしたか。

M 二人でやることというのが一人でやることにも返っていくし、一人でやることで養っていくものを、またこれからも一緒にやっていくことに培っていけると感じました。

__音楽をされている方で写真を撮られている方が多いですが、やっぱり写真と音楽はリンクする部分があるんですか。

A 不自由さの尺度は近いのかなと考えます。音楽を見ることはできないから、音の中に自由に情景を描ける。同じように写真は静寂だから、音や詩を自由に奏でられる。想像の仕組みもリンクしている気がします。

__写真を撮り始めて影響を受けた人はいますか。

A 音楽を日常的に聴くので、音楽からの影響や何か着想を得るということは多いと思います。でもそれ以上に、日頃の身近な人たちの会話やたまたま耳に入ってきたフレーズ、何気ない一言からの影響がたくさんあるように思います。“東京”について考え始めるようになったのも、関西に住む人が「東京に出たい」と放った一言がきっかけでした。その一言から、東京についてより深く考え始め、作品を作ろうということになりました。

__MAIさんは影響を受けた人はいますか。

M 私は普段から色々な本を読むので影響は様々な角度から受けていると思うのですが、一つ具体例をあげるとするなら、社会学者の岸政彦さんですね。個人史や生活史を聞き取りされている学者さんなのですが、岸さんの話を聞く姿勢には学生の頃からずっと感銘を受けています。物書きをしている人たちは、書くことで自分の話をしていると思うんですが、岸さんのひとの話を聞く姿勢を見ていたら、聞くことも書くことなんだと思ったんです。自分が話をしようと思ったら、まずはひとの話を聞く。しっかり耳を傾けることができて初めて、自分の話を話せるんじゃないかと。他と比べて声が小さかったり、悲しいと思われることだって存在していることを、私はやっぱり書きたい。人や社会との繋がりの中で、誰しもが生きています。一人では生きられないから、他者との関係性が生まれた時の相手への姿勢を大切にしたいと思っています。私は声が大きい人のことを書きたいと思っていなくて、大きい主語になったときにあぶれてしまうもの、こぼれてしまうものを書きたいと思っているんです。

A そのあぶれたものというのが日常の中の会話だったりするんですよね。そういう意味ではどういう人に影響を受けるかというよりは、影響の受け方が私とMAIちゃんは近い。わかるものはもう存在しているので、実態のないものや取りこぼされたものに何かを見出したいという気持ちがあります。

M それにそういうものって、とても話しづらい。あるのに見えにくくなっていたり、見たくないと思われていたりするのかもしれません。わかりやすくはないから。よくわからないものだから、それぞれの主観で生きていると何も引っかかってこないこともある。色々な人がいるので、それを悪いとは全く思っていないんです。その語られづらさとか語られる場所の少なさとかを、少しずつ自分たちがやるようなことで、共有していきたいです。

__今後の活動について教えてください。

A 二人のWEBサイトがあって、毎日更新しています。それから私たち、“東京”を作ったら東京に興味を持ってしまって、東京に住むことにしました。

__えっ、本当ですか。二人で東京に。

A・M はい、二人で東京に。実験みたいな感じで。生活をしていく中で改めて東京について考え、色々な方々との出会いや関わりの中で、続作を製作できたらと思っています。皆様とまたどこかでお会いできたら幸いです。


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